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「結婚」と「婚姻」はどう違う?

「結婚」と「婚姻」、よく似た言葉ですが、どう違うのでしょう?
現在の使い方で考えると、「結婚する」とは言いますが、「婚姻する」とは言いません。
「婚姻状態」とは言いますが「結婚状態」という言葉には違和感があります。
簡単に言うと、「結婚」は結婚式(婚礼)というイベントを中心としたイメージで、「婚姻」はそのイベント後の生活または状態と言えるでしょう。
「婚姻」は法律用語でもありやや堅苦しく地味で真面目な感じがあり、「結婚」は=「ウェディング(結婚式・婚礼)」で、結婚行進曲が鳴り響く華やかなイメージがあります。

また「結婚」と「婚礼」もよく似ていますが、「結婚」の方が一般的で、「婚礼」はやや改まった表現になります。
結婚式は「する」と言えますが、婚礼は「行う」と言います。
婚礼には古風で儀式的な印象があり、結婚式はパーティーのイメージです。
おそらく結婚式(婚礼)の中の、新郎新婦の誓いの儀式である前半部分よりもお披露目パーティーである後半部分がクローズアップされるようになるにつれて、「婚礼」よりも「結婚(式)」という語がよく用いられるようになってきたのではないかと思われます。
それは世の中がフォーマルからカジュアルに変化していく過程と重なっているようです。

さらに「結婚式」は「婚儀」とも言われます。
「結婚の儀」というと皇室用語になり、「婚儀」も改まった表現です。「儀」は法則であり「式」は形。
皇室の「結婚の儀」を手本とし、それが一般化していくとともに、その意味よりも形式に重点が移って「婚儀」は「結婚式」になり、意味の薄れるとともに形式が崩れて、より自由で華やかさ重視の「ウェディング」へと変化して現在に至っているように思われます。

「婚礼の儀」から「恋愛ドラマ」へ

天皇家の結婚式である「結婚の儀」は、日本における一般的な結婚式のお手本とされてきましたが、それが始まったのは明治33年(1900年)5月10日。大正天皇の婚礼の日からです。
宮中での婚儀から馬車でのパレード、新郎新婦が手に手をとっての饗宴、そして新婚旅行…という当時としては時代の最先端を切り開くような極めてモダンな結婚式の姿でした。
中央集権の統一近代国家たらんとする当時の日本において、その統一の中心であったのは天皇ですから婚礼においても天皇家の式次第がスタンダードとなったわけです。
しかし、それは国家が法律で結婚式の方法を決めたということではありません。
天皇家方式を一般の結婚式に広めたのは、初めが神社(おそらく神様が縁結びに担ぎ出されるのもこの頃以降でしょう)で、次に結婚プロデュース業やホテル業界でした。
明治42年に麻布で設立された永嶋婚礼会という会社が婚礼に必要な道具一式のリースと神職や巫女の人材派遣を始めて、それが帝国ホテルと結び付き披露宴や写真、花嫁の美容なども付加して、式から披露宴までをワンストップで行う結婚式一式が出来上がりました。
そこからは工業国として力をつけていく日本の社会の流れに沿って、判で押してベルトコンベヤーで流されるように全国で同じ式次第が量産されるようになっていきました。
高度成長期には昭和のロイヤル・ウェディングがあり、その情報はテレビという革命的機器によって全国一律に一瞬で同時に届けられます。ここにインスタント革命が起こり、結婚式も単なる量産からインスタント・ウェディングへ進化します。全国一律に誰もが3分で同じ幸せになれる時代。そして3分毎に慌ただしく次の幸せに駆り立てられる時代。
そして日本が量産型工業国として世界の頂点に向っていくとともに、量産型「結婚式」も大きな産業になっていったのですが、日本がその頂点から滑り落ちていくのと同時に、量産型結婚式も崩壊に向いました。今ではある程度量産されながらも、かなり多品種に変化しています。
ファスト・ウェディングの時代といえるでしょう。

国家の中心から現人神の姿が薄れていくとともに、その向こうに光り輝く自由の女神が姿を見せ始め、挙式は神式からキリスト教式が増えていきます。
神風を吹かせることができなかった日本の神様から豊かな物量を誇って見せるアメリカの神様へ、神のバトンタッチが次第に進んだのです。
祝詞の厳粛さからステンドグラスの華やかさへの変化でもあります。

おもしろいことに「結婚はチャペルでも、その前の段階の「縁結びは相変わらず神社の専売特許で、神前式が衰退しても縁結びはパワースポットや観光・村おこしとも連携しながら新たな発展を遂げています。これは<ドラマが変わった>ということかもしれません。
天皇を中心として日本全体で作ってきた壮大な繁栄国家のドラマが最終回を迎え、続編は個人が各々に恋愛を追いかける群像ドラマになっているという感じでしょうか。
生涯を誓う結婚式には唯一神、それ以外の人生の多様性には何でも屋の八百万の神々という神様の使い分けが定着しているのもおもしろいところです。

神様から家族へ〜結婚式の手順

結婚式の披露宴では最初に挨拶するのは「一番偉い人」と決まっています。
偉い人の堅苦しい話からスタートして同僚や友人の砕けた話となり、最後は両親の涙で終わります。
偉い人の話の手前には神様の前での誓いの儀式があります。
結婚式には、神様から家族へと、フォーマルからインフォーマルへ、公的から私的へ、上流から下流へという一貫した流れがあります。
一番上流にある「健やかなる時も病める時も…」という誓約の言葉は、いつも変わりません。
形式的で退屈なものですが、この変わらなさこそが「神聖さ」の証です。
神様は変化なく不動だからありがたいのです。
それと同じように人間界の披露宴で最初に話をする偉い人の言葉も、形式的で退屈な、できれば古臭く古臭いまま変わらない故事成語などを交えた形式的で退屈なものでなければなりません。
そうでなければ、イベント的にも後に控える友人たちの砕けた話との対比が目立たなくなります。
前半はできるだけ堅苦しく、後半はできるだけ盛り上げて、というのが結婚式の「お約束」です。
そして最後に最もインフォーマルな存在である「家族」と、その個人的な感情の表出である「涙」で締めることになります。

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